本の感想

2月10日(水)

おはようございます。さとるんです。春休みの生活が慣れてきて少しなまってきているのでそろそろまた気合を入れなおしたいと考えています。今日は昨日読み終わった本の感想とかを話しながら自分の人生を少し振り返ってみたいと思います。読書感想文めっちゃ苦手だったので魅力が伝えられないかもしれませんが頑張ります。

 

嫌われる勇気

 前の記事にもちょろっと登場していた岸見一郎(著)、古賀史健(著)の「嫌われる勇気」という本を読みました。この本は人は変われないと考えている青年と世界はシンプルで人は変われると言い切る哲人という2人の会話形式でアドラー心理学について解説していく内容となっています。アドラー心理学というのはアルフレッド・アドラーという人が唱えた心理学でフロイトユングの2人と並んで世界三大心理学者と言われています。本の中でも書かれていましたが僕自身他の2人は知っていたのにアドラーのことは知らなかったし、おそらく知られていなかったようです。この本の面白いところは僕自身ネガティブな時代があったので最初は青年のほうに共感していくのですが読んでいくうちに哲人の考え方に引き込まれてしまい、読み終わったときにはも少し頑張ってみようと思わされるところです。ここからはポイントポイントで印象に残った部分を書いていきたいと思います。電子書籍版なので具体的なページが分からないのでご了承ください。

 

解釈

問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」

こういった文章があってようは過去のトラウマだとかは自分がそれをトラウマである、行動できない原因であるという意味付けをしていただけに過ぎないのであり、結論トラウマなんて存在しないという考えです。結構身に覚えがあって僕は小学生のときほんの一時期ですがハブられた経験がありまして、隣のクラスに友達がいたのでそっちに逃げてたこともありいじめに発展するほどではなかったのですが身に覚えないのにハブられるのはかなりきつかった記憶があります。で、僕は最近まで人目を伺って生きてきて心が本当に開ける友達がほとんどできませんでした。もちろん原因は小学校の時のが原因だったと思っていましたがあれは僕が人に心を開いて否定されたり馬鹿にされたりするのが怖かったから作り出していたトラウマに過ぎず、あの出来事そのものに意味なんてなかったんだと思わされました。これは非常に刺さりました。多分他にもそういった過去の出来事を理由にできないことがあるかもしれませんがこれからはそれをトラウマと意味づけるのはやめて進んでいきたいと思います。

 

結構書けることが多そうなので今日はここまでで明日また今日の続きを書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

嫌われる勇気

嫌われる勇気