本の感想2

2月11日(木)

おはようございます。さとるんです。昨日ダンスの練習に行ったのですがなんと人生で初めてウィンドミルという技が一回成功しました。もうすごい嬉しくて最高の一日になりました。

ただ、今日は昨日の予告通り「嫌われる勇気」を読んで考えたことのアウトプットをしていきたいと思います。まだまだ言い足りないくらい面白い本だったのでまた長々と自分の人生と比較して考えた内容を書いていきたいと思います。昨日の記事を読んでいない方は先にそっちを読んでいただくことをお勧めします。では、行きましょう!

 

対人関係

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」

私たちは何か行動を起こすときにそれをしたことで誰かに褒められたいと考えることがありますが褒められたいからやるという考え方をアドラー心理学は否定していてそれは自分の行動を他者に委ねてしまっているというかとになります。また、こういった文もありました。

ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。

つまり褒められるというのは無意識のうちにその人よりも自分が下だという感覚を覚えるようです。お手伝いをしてくれた子供に対して親が「偉いわね」というのは子供を下に見ていることになるようです。

整理していくとまず、他人の基準に合わせて行動してもそれがいいのか悪いのかは相手の判断になり本当の意味での自由を完全に失い形になります。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことができない。つまり自由になれない。

まずそもそもアドラーさんは人の悩みは全て対人関係にあるという事を言っています。どんな悩みも対人関係が必ず絡んでくる。僕は今まで承認欲求がすごく強くて褒められたいからやるというのがほとんどだったと思います。中学の時は生徒会長をやっていたし、高校でも文化祭の実行委員やら生徒会役員やらいろいろやってきましたが結局のところ自分に自信がないから褒められたくて、認められたくてやっていたと思います。だから僕は何をやっても自分の行動が正しいか否かの判断を他人に委ねていたため自分に自信も持てないし自分の軸のようなものをもつことが出来ていなかったんだと思いました。そこで他人の基準ではなくたとえ他人から悪く言われるとしても自分を貫くことが必要であるんですね。行動の動機が自分の基準なら本当に自分がなりたい姿に向かって頑張れるしそれを認めてくれる友達こそ本当の友達であるという事ですね。褒められたいからやるというのは万人受けして嫌われないかもしれませんが同時に好かれないんだと思いました。僕自身嫌われたくないから他人の顔色を窺っての生活をしていたからなのだと思いました。また、マウントをとるといった行為も自己を下に見ているからやってしまう行為でこれをする人は他人を「敵」とみてしまいます。人の関係を縦に見てしまっているということらしいです。ここで人の関係を横の関係、つまりどんな間柄であろうとある条件では対等であるという関係を築くことが大事で、このようにとらえることで周りの人間は「仲間」になるという考えをアドラーさんは唱えています。確かに承認欲求満載時代の僕は自分より褒められている人を見ると劣等感を感じ、その人が失敗したときに喜びを感じていしまうことがあったと思います。でもこれからは承認欲求で行動するのは極力やめて自分を貫いていきたいと思います。そうすればきっとみんなの成功を喜べるし、楽しい人生が送れると信じています。

明日も今日の続きを書くと思いますが次回で最後にしたいと思います。書きたいことが多くて若干いつも以上に文章がごちゃごちゃになってしまいましたが読んでくれてありがとうございました。ぜひ「嫌われる勇気」読んでみてください。

 

 

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嫌われる勇気

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